皆さんは、なぜ筆文字を始めたのですか?

――私が「筆文字」と出会い、離れられなくなった理由


皆さんは、なぜ筆文字を始めたのでしょうか?

「楽しそうだったから」
「癒されたかったから」
「誰かの言葉に背中を押されたから」
いろんなきっかけがあると思います。

そして今、筆を持ち続けている理由は、始めたときとはまた違っているかもしれません。

実は、私も最近、自分に問いかけています。
「なぜ私は筆文字だったのか?」
他のものでなく、なぜ、これだったのか?
そして、なぜ、今もやめずに続けているのか?


私の筆文字のはじまりは「生きる問い」から

私は本業では会社員として働いていて、副業で筆文字講師をしています。
別に副業をしなければならない事情があったわけではありません。
でも、筆文字と出会ってからの私は、筆を持つことをやめられなくなりました。

その理由は、長年、会社という組織の中で働く中でのある“空虚”がきっかけです。

会社という組織の中で、私はまるでロボットのように働いていました。
頑張っても所詮男社会、女性は黙って仕事しろといわんばかりの空気感。意見を言えば「出る杭打たれる」状態

頑張っても報われず、「何のために働いているのか分からない」日々。
そんな中、自分に問いかけました。

「私は、何のためにここにいるんだろう?」

その頃、偶然パステルアートの講座で出会ったのが、筆文字でした。
久しぶりに筆で文字を書いた感触・感覚はとても懐かしく温かく感じました。

筆といっても筆ペンでしたが・・

そのとても懐かしい感覚は、何かを呼び覚ましているようでもありました。


子ども時代にあった“承認欲求”という原点

思い返せば、私の中に「認められたい」という思いがずっとありました。
小さいころ習っていた習字。日曜15:30の時間が嫌でたまらなかったけれど、

続けていたのは、毎月の月刊誌に名前が載ったり、表彰されたりしたとき、

親がちょっとだけ褒めてくれるのが嬉しかったから。
「もっと見てほしい」「もっと認められたい」
その感覚は、大人になった今も私の中に生きていたのだと思います。


「創造する喜び」と「筆文字」の重なり

私は、いつも妄想したり、絵を描いたりするのが好きでした。
小学生のころは「キャンディ・キャンディ」を真似て描いては楽しんでいました。
そんな私にとって、筆文字はまさに“創造の自由”そのものでした。
誰かのルールではなく、自分の心に従って描ける。
言葉にするのが苦手だった私が、絵や文字でなら表現できた。
そこに私は、ずっと求めていた“自分らしさ”を見つけたのです。


想像力を育んだ恩師の存在

そして、もう一つの原点に気づいたのは、小学5年生のとき。
担任になった先生はとにかく型破りでした。
道徳の教科書を一冊読み、全部まとめるという初日の宿題に始まり、
夏休みには空を見て詩を書き、絵の課題を全部描き、
習字の時間には墨ではなく色の絵具で自由に書いてみる。

遊歩道を作ったり、裏山で「今晩の夕飯に食べたいものをお母さんに叫んでみる」なんてことも。

思えばこの先生との出会いが、今の私の「想像し、創造する力」の根っこにあったのかもしれません。


筆文字は、私の“生きる問い”の答え

筆文字を始めてから、私は次第に「講師」としての道を歩みはじめました。
講座を通じて、同じように息苦しさや葛藤を抱える人たちと出会い、
「この想いを伝えたい」と心から思うようになりました。

でも、順風満帆ではありませんでした。
燃え尽きたことも、傷ついたこともありました。
それでも私は、また筆を手に取ります。
なぜなら、筆文字は私にとって「自分とは何か」を問い続ける場所であり、
「こうでなければならない」から自由になる、かけがえのない居場所だからです。


次回は——
オンライン講座から始まった私の“挑戦”と“人見知り”な自分との向き合い方について綴っていきます。