2017年8月30日、私は初めてInstagramに投稿しました。
その一枚は、伊勢神宮の写真。たった1枚の写真を投稿するだけなのに、投稿ボタンを押すまでにどれだけ迷ったことか…。
「見られるのがこわい」
「誰かにどう思われるのか不安」
今でこそ「表現する人」として活動していますが、当時の私は、人に見られることがとても苦手でした。
SNSも、何を投稿したらいいかわからないし、誰に見せるの?という気持ちが勝って、しばらく放置状態。
再び投稿を始めたのは2019年6月。筆文字との出会いがきっかけでした。
初めて自分の作品をアップする時も、やっぱり怖かった。
「誰も見てくれなかったらどうしよう」
「こんな作品、笑われるかもしれない…」
それでも心の奥にあった「この喜びを誰かと分かち合いたい」という思いが、投稿ボタンを押す勇気をくれました。
これがその時投稿した作品です。初めてかいた筆文字にうれしくて・・・でも今見たら・・

私は昔から、何かを表現するとき、よく“自分と会話”しています。
これは小さい頃、リカちゃん人形でひとり遊びをしていたときの感覚に似ています。
自分の中には、大人の自分と、子どもの自分が同時に存在しているような感じがするのです。
散歩中に野の花を見つけると「かわいいね」と心で話しかけたり、枯葉を見つけて「何か作れるかな?」とワクワクしたり。
筆文字やイラストを描くときも、目や口を入れる瞬間に思わずニヤニヤしてしまいます。
完成した作品に「かわいいな」と声をかけることも。
こうやって自分と遊ぶように、会話するように、生きていることが、
私なりの「自分との向き合い方」なんだと思います。
オンライン講座、まさかの友人が第1号生徒に
2019年、筆文字インストラクターの資格を取得した私は、「もっと筆文字の楽しさを届けたい」と思うようになりました。
けれど、ちょうどコロナ禍。リアル講座は難しい。自然と「オンライン講座」という選択になりました。
でも実は、私は人前に立つのがとても苦手。
超がつくほどの人見知りで、緊張しやすく、人前にでると声は震えるし、とても不器用な性格。
そんな私にとって、オンラインであっても「教える」という行為は大きな壁でした。
勇気を出してモニター募集をかけたものの、なかなか人が集まりません。
ついに、友人に「お願い!生徒役をして!」と頼み込んで、ようやく第1回目の講座を開催。
講座を終えたときには、どっと疲れて放心状態でした。
でも、やりきったという達成感も確かにありました。
ときには厳しい言葉に傷ついたこともありました。
でも、それ以上に「届けたい」という気持ちが勝っていました。
私はいつも、新しいことを始めるたびに怖くなります。
でもそのたび、「大丈夫だよ」と、心の中の小さな自分に声をかけるのです。
ちょっと手を引いて、一緒に踏み出してみよう。
そうして少しずつ、世界を広げてきました。
人とのつながりが、私を支えてくれた
少しずつ講座に参加してくれる方が増えていきました。
1人が2人に、2人が3人に。
「紹介したい」と言ってくれる人たちのおかげで、これまでにのべ800人以上の方に筆文字を届けることができました。
私は本業が会社員で、講座はすべてスキマ時間や週末を使って開催してきました。
それでも、こんなにも多くの人とつながることができたのは、間違いなく「筆文字」の力だと思っています。
一方で、人との関係で悩むこともたくさんありました。
未払い、ドタキャン、作品の無断使用…。
自分の想いを込めて描いたものが雑に扱われると、本当に傷つきました。
私は、人の言葉にとても敏感で、小さな一言で心がザワザワしてしまうタイプです。
でも、そういう自分も、少しずつ受け入れられるようになってきました。
大人の自分が子どもの自分にこう言うのです。
「そんなふうに感じていいよ」
「傷ついても、また描けばいいよ」
そんな内なる対話が、私の表現活動を支えてくれています。
“二足の草鞋”でも、自分らしく
私は今も、会社員として働きながら、筆文字講師として活動しています。
「筆文字一本で生きていきたい」という思いは常に心のどこかにありますが、会社という場所に身を置いていることの安心感も、今の私にとっては大きな支えとなっているのも事実です。
「世間の目」や「親の価値観」——
そうしたものから完全に自由になるのは、やはりまだ少し先になるのでしょうか。きっと私の気持ち次第のような気がしています。
年齢のこと、これから先のことなど不安もあって、“二足の草鞋”を履きながら歩いているのが、今の私です。
20年前、夫が突然病でこの世を去り、それ以来、私は一人で家庭を支えてきました。
世帯主として生きていく中で感じる「何かあったらどうしよう」という不安は、今も心のどこかに残っています。
きっとそれも、会社員という肩書きを手放せない理由のひとつなのでしょう。
でも、そんな今の私も、やっぱり「私らしさ」だと思うのです。
繊細で、不器用で、それでもまっすぐに生きようとしている。
そんな私だからこそ伝えられる言葉があり、届けられる想いがあると信じています。
これからも、誰かと比べることなく、焦らず、自分の歩幅で。
筆文字とともに、自分らしく生きるこの道を、大切に歩んでいきたいと思っています。
“二足の草鞋”を履いてでも筆文字を続ける理由。
それは、やはり筆文字が大好きだから。
描いているときの自分が一番自分らしくいられて、心が自由になるから。
そして、その楽しさやあたたかさを、誰かに伝えたいという気持ちがあるからです。
筆文字の魅力を、もっとたくさんの人に届けたい。
そんな想いが、私を今もこの道に立たせてくれています。
私の話に、ここまで長らくお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
人見知りで、不器用な私が少しずつ自分を表現し始め、筆文字とともに歩んできた道のりを振り返ることができて、改めて感謝の気持ちでいっぱいです。
次回は、少し話題を変えてお届けできたらと思っています。
また違った角度から、筆文字との関わりや、日々の中で感じていることをお話しできたらと考えています。
どうぞ、これからもお付き合いいただけたら嬉しいです。